今日は読んだ本のおはなしなど。
「あのひととここだけのおしゃべり」というタイトルがいいなぁ、と思って手に取ったらよしながふみ先生でした。
「ここだけのおしゃべり」って言い方、なんかいいですよね。しかも「あのひとと」って、限られた関係の中での、密やかなおしゃべり。あなたとわたしだけで成り立つ会話。
うん、そういうの、好きです。
決めつけない、ということ
対談相手は漫画家9割、残りは小説家と料理研究家の方々。
漫画家さんの対談集なので、やはりマンガ好きの方とのマンガトークが多めではあります。
マンガに対する心持ちだったり、お仕事として物創りをすることであったり。
これは私個人の見方なんですが、「仕事」が「人が人に対する行動」である以上は、どんな業種であれ、共通する部分はあるもんだよなぁ、と思っています。仕事や人に対するスタンスとかは、確実にそうだと思う。
この本を読んで、最初に「いいなぁ」と思ったのは、羽海野チカ先生との対談でした。
頑張ったことがあったことに気づいたら、よしなが先生は「それは偉かったねぇ」と褒めてくれるんだと。羽海野先生は最初「(頑張ったことに)気づいてくれること」が嬉しい、という話をされていますが、それに対してよしなが先生の返答が良かった。
何かね、ジャッジをしても意味がないかなぁと思って。
「それはその人が悪いよ」とか。
「そんなくだらないことは気にしなくていい」とか。
引用:「あのひととここだけのおしゃべり p189-190」
ここからは私の解釈なのですが、人が何かを頑張ってる時に、その内容ややっていることまで深読みして「それは●●●だよね」などの判断(ジャッジ)する必要はないんだよ、と聞こえたんです。
それは「ジャッジして意見をくれ」という要望があれば応えても良いと思うけれど、そうでない場合にわざわざジャッジする必要なんてないし、求められてもいない(と思う)。
相手は己がやっていること、迷っていることを理解して飲み込んでいるはずで、今話しかけられた自分に求められていることは「同じ目線で話しかけられる相手の、相槌が欲しい」ということだと理解している、ということが上の引用に含まれているんじゃないかなぁ、と思ったんです。
上記の引用部分は、よしなが先生が何かの話を聞いた時に、まず「それは偉かったねぇ」と「話しかけて来た相手の感情に寄り添う」返答をした、ということだったんじゃないかなぁ。
"ジャッジをしても意味がない"ってそういうことなんじゃないのかな。決めつける、んじゃなくて、寄り添う、ってこと。
相手に寄り添うということ
…ここまで書いて、寄り添うことについて過去記事でも書いていたなぁと思い出しました。


私がここ数年、意識していることの中に、「出来うる限りフラットで居たい」というキーワードがあります。
例えば仕事なり、友人付き合いなりで、誰かと話をする時。家族でも、ふらっと立ち寄ったお店の人でも。
自分の考えだけ、価値観だけで「決めつけて」話をするのではなくて、相手の話を聞いた上で、自分がどうするかを決めたい。相手に寄り添いながらも、フラットに考えられるような。そういう自分でいたいな、と考えているんです。
だから、引用したフレーズが心に残ったのかもしれません。「近しい考えの人がいる」という嬉しさだったのかしら。
我ながら今気づいたんですが、こんなに出てくる「寄り添う」というワードが、これからの私のテーマの一つなのかも。
一冊の本の一文から、思考が巡り巡ってこんなところに辿り着くとは。だから本を読むのは楽しいんですよね。思考が連鎖していくのは面白い。
長くなって来たので、今日はこの辺で。
それでは、また。